畳は、「たたむ」ことを意味し、折り返して重ねる意味でもあって、たためるもの、重ねられるものから、敷物のすべてを意味したものでもあり、これが畳の起こりなのです。
『古事記』中巻に
とあります。「古事記」には他にも「皮畳」「きぬ畳」が記され、上代には野生の草を八重に敷いたものを「たたみ」と称しています。奈良時代には、いまで言う薄畳のような物もでき、平安時代の絵に畳が描かれ、「栄華物語」の中に「たたみ」の文字が出てきます。この時代には上流社会において部分的に使われていたようです。また、奈良の正倉院には聖武天皇が使用された「御床(おんしょう)」が、残っており、寝殿造の代表である京都御所には要所に畳を敷いてありました。また清凉殿内の「夜御殿(よんのおとど)」には、御帳台がありこれがベッドにあてられていました。鎌倉時代から室町時代にかけて書院造か完成され、この頃になると畳が部屋に敷き詰められるようになりました。日本で初めて畳を敷き詰めた部屋は銀閣寺にある四畳半の部屋、そこから四畳半の宇宙は始まったのです。桃山時代から江戸時代へと移るに従い、書院造は茶道によって発達し数奇屋造となり、そして町家に引き継がれました。畳が一般庶民の物となったのは江戸時代中期以降のことであり、農村においては明治時代になってからなのです。
王朝絵巻(源氏物語・作者不詳)
王朝の華やかなロマンを描いた源氏物語。優美な生活を映し出した王朝絵巻に畳が美しく描かれています。建物は寝殿造り。内部は障子、屏風、几帳などで区切られ、畳は置き畳とし、流動的に活用されていました。
(左)鶴岡放生会職人歌合絵
鎌倉時代八月十五夜の鶴ヶ岡八幡宮の放生会に作られた職人の歌合図。畳差が畳縁を取り付けているところ。
(右)七十一番職人歌合図(新修日本絵巻物全集28・東京国立博物館蔵)
室町時代の月と恋を詠題として七十一番百四十二人の職人を収めています。畳刺が片肌をぬいで畳縁を取り付けています。
畳刺之図(東京都畳工業組合所蔵・出所不明)
床づくり、仕上げまでの一貫した手作業がコミカルに描かれています。江戸時代のものと思われます。
座敷の生活(貝合わせ図・宮川一笑筆
江戸時代の生活を伝える「貝合わせ図」。座敷は畳を四井敷にしていてかなり広く、床の間にも畳が入っています。
たいへん歴史の深い物ですが、畳が私たち庶民の中に浸透したのは、江戸の後期から明治にかけてのことと聞くと、意外に浅い気がします。また、その頃からあまり発展しないのには理由もありました。畳は建築物の基準ともなり、その姿、形を変えることができませんでした。畳に対する概念が定着してしまい、進歩、発展することが許されなかったように思います。日本の建築の中でも屋根などは、ワラ葺き屋根から、カヤになりヒハダになり、ついには瓦葺きの屋根になり素晴らしい発展をしてきました。対照的に発展を許されなかった畳は、今でこそ素材は多数ありますが、ほんの少し前までは、ワラとイグサが主流でした。今こそ畳を呪縛から解き放ち、まったく新しい畳の創造をしなければならないのです。
我々の生活にどう畳があるべきか?日本人の感性を豊かにしてきた畳をどう継承するべきか?これからの日本人は畳の上でどう住まうべきか?それは、新しい感性を持ち、四畳半の宇宙の原点を重んじ、そして足から伝わる、畳の温もりと、「すべり」と「とまり」を伝統として受け継ぐことがすべての始まりなのです。
私たちがta・tumを通して、ta・tumの上でどのように住まうのか、生活の潤いをどのように感じられるのか、潤いのある日本人の住まい方を考え、日本人が日本人らしく生きてゆく提案をしてゆきます。
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